「スーホの白い馬」 歌が生まれるまでの経緯

日本の子どもたちのメッセージをもとに 「スーホの白い馬」の歌を作り、
日本やモンゴルの子供たちと歌いたい…♪
リポーと仲間のそんな思いがついに実現しました。

そこにはちょっとしたドラマが、熱い思いがあったのでした



「スーホの白い馬」への
  リポーの思い
民話の発祥地、中国・内モンゴル自治区出身の馬頭琴奏者リポーは、馬頭琴やモンゴルの素晴らしさを伝えようと、1995年、日本にその活動の拠点を移し、全国で地道に活動して参りました。

その活動の中で、リポーは、自分の故郷・内モンゴルの民話「スーホの白い馬」が日本の子どもたちに愛され、親しまれていることを知りとても感動しました。

「スーホの白い馬」は、馬頭琴成り立ちを語り継ぐ民話なのですが、じつは歌がありませんでした。

 そこで2000年になって、リポーは日本やモンゴルの子供達に歌ってもらえる「スーホの白い馬」の歌を作ろうと思いたち、有志に呼びかけて「スーホの白い馬」歌作り実行委員会を立ち上げました。 


リポーの呼びかけに応え全国の小学生から4000通近いメッセージが寄せられた!
2000年2月〜3月、
マスコミのご協力をいただいて、全国の小学校に呼びかけました。2000年2月20日より約1ヶ月間で、全国の小学生から3,896作品のメッセージが寄せられてきました。手紙、詩、感想文、俳句、絵など 様々でした。

これほどの作品が送られてきたとは正直、驚きました。やはり40年近くもの間愛されてきた「スーホの白い馬」の魅力を再認識する結果ともなりました。

中村泰士氏(作詞・作曲家)監修のもと、歌作り実行委員たちは寄せられたすべてのメッセージに目を通し、イメージを創り上げていきました。そしてもちろん、作曲はリポーが行いました。作詞は荒木とよひさ氏にお願いし、快く引き受けていただきました。

構想からおよそ1年で、念願の「スーホの白い馬」の歌がついに完成したのでした。
 

「スーホの白い馬」歌
完成発表コンサートを開催
 2000年5月
 

歌が完成したばかりの2000年5月10日、「スーホの白い馬」歌作り発表コンサートを名古屋市民会館(中ホール)で開催しました。
スペシャルゲストとして中村泰士氏と荒木とよひさ氏(作詞家)をお迎えして、誕生したばかりの「スーホの白い馬」の歌を、子どもたちと会場の皆さんと大きな声で、心を込めて歌いました。 


草原でモンゴルの人々と
 歌の交流ツアー
 
 2000年7月
発表コンサートで手応えを感じたリポーと私たち委員会は、さらにこの歌で国際交流につなげよう!と、内モンゴルに歌いに行く旅を計画しました。

2000年7月29日から6日間の日程で25名が参加して、中国・内モンゴル シリンゴロ盟バインソム草原に出かけ、草原で遊牧民とコンサートを開催しました。リポー氏の友人のシリンゴロ歌舞団の歌手がモンゴル語で「スーホの白い馬」の歌を歌い、日本人が遊牧民 の前で日本語でうたいました。

その時、日本とモンゴル(中国)との国境の壁はなくなり、お互いの心が通い合ったのでした。


  2005年愛知万博の閉会日に3,000名のお客様を前に歌われました。










これからも日本の子どもたちに
・・・

「スーホの白い馬」の歌は、モンゴルの人々のやさしい心が モンゴルのメロディーで歌われています。
私たちは毎年、いくつかの小学校へおじゃましてこの歌を子どもたちと歌うのですが、子どもたちはこの歌をすぐ覚え、そして大好きになってくれます。そしてこの歌を歌うと、何かを感じ取り、なんだか心が優しくなれるようです。

この歌は、2005年の愛・地球博(愛知万博)の閉会日に歌われました。
9月25日、EXPOドームでの閉幕記念コンサートで、オーケストラをバックにリポーが馬頭琴を弾き、150人の少年少女合唱団の皆さんが歌ってくれたのです。満員の3000名のお客様からは熱く長い拍手が送られました。とても感動的な場面でした。

リポーと私たち馬頭琴基金会は、この歌がこれからも日本の子どもたち、いや大人にも愛され、歌い継がれていくことを 心から願っています。


スーホの白い馬の歌1曲が収録された限定版CD(楽譜付き)を
わずか¥1000(送料別)にてお求めいただく事が出来ます。
 
メールでのご注文はトップページからどうぞ

      >トップページに戻る    


 Produced by MORIN HUURPLANNING (C)Copyright 1997. MORIN HUUR PLANNING

inserted by FC2 system