第1回 内モンゴル 馬頭琴芸術祭参加ツアー旅行記 【その1】
5日間のツアーのうち 8月9日〜10日前半の2日間です。 後半の3日間は【その2】をご覧下さい
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2004年8月9日名古屋空港出発 8月13日名古屋空港帰着 この旅行記は、参加者の一人が個人的にまとめたものです。個人の独りよがりと思い込みに満ちており、馬頭琴基金会の公式記録などといったものではありませんのでそのお積りでご覧下さい。 なお文中に出てくるサランモルとはリポーさんの生徒のグループのことです。 |
筆者紹介:ウマ年の男性。ウマ年の年にリポーさんと馬頭琴に出会い、遅まきながら馬頭琴を始める。草原に憧れを持っていたことにも気づく。馬頭琴の腕前はいっこうに進歩せず絶望的だが、熱意だけは一人前?。 |
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第1日目 8月9日(月) 名古屋空港13時発 天候不順のため大連に一旦着陸し北京へ。 北京で乗り継ぎ、フフホト空港へ。 レストランで歓迎パーティーのあと フフホト市内ホテル泊 |
第1日目 8月9日(月) 中国人スチュワーデスのお姉さんは愛想が悪い! なんでだろ? 家内の車で10:30頃名古屋空港へ。ツアーの皆さんは殆どの方が集まっていた。旅行社の I さんから旅行について注意を受け搭乗手続き。13:00過ぎエアチャイナCA160便は名古屋空港から一路北京へ出発した。 まずまずの天気だったが、山陰の上空を過ぎてからは下界は雲が厚く、陸地が見えなくなった。機内での楽しみは機内食。まだかなと待ち遠しくなった頃にやっと出てきた。和食を頼んだら、うなぎごはんが出た。 ところで、スチュワーデスの中国の娘さんたち、なんだか笑顔が少なく、愛想が悪いように感じた。(この種の印象は、この旅行中、中国の飛行場や商店などでたびたび感じることになった) 着陸したのは何と旧満州・アカシアの大連。降りて散策したかった 3時間のフライトで着陸したのは、何と大連だった。北京は天候不良との事。ウーム。アカシアの大連かぁ…。何だか憧れてしまう街だ。旅行会社の I さんは北京から接続するフフホト行きの便が心配で気をもんでいるが、ノー天気な私は得をした気分になって、外の景色を眺めた。戦闘機が駐機している。中国空軍のミグかスホイか。飛行場のすぐ外にはアパート群が見える。とてもおしゃれな建物だ。 1時間くらい待機して再び出発。無事北京空港に到着し、更に乗り継いでフフホト空港へ降り立ったのは、予定より約1時間遅れとなった。 |
エアチャイナの出発前の機内で、手荷物の整理中。 ジャンボ機? いえいえとんでもない。120人乗りくらいかな。満席でした。 飛行機の窓から見た大連の町。おしゃれな建物はアパートか?手前は私たちの飛行機の主翼。 レストランでの歓迎パーティーにて。 赤いデールのお姉さんの勧めで杯を干すリポーさん。右端は旅行社の I さん。お世話になりました 歓迎を受けるHさん。中央の男性は現地ガイドの李昌さん。李昌さんにとっても今度のツアーは単なる観光客相手と違うので楽しかったようです。Yさんに歓迎の儀式の受け方を説明しているのはリポーさんのマネージャーの山元さん。7月下旬から内モンゴルに滞在しています。もう半分モンゴル人? |
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フフホトの街はエネルギーに満ちあふれた大都会だった フフホト飛行場からは、現地旅行社のマイクロバスで市内へ。初めて見るフフホトの町は車も人も多く、ビルがいっぱい、ネオンサインや照明がきらきら。夜遅いというのに活気に満ち溢れて見えた。途中の噴水が大仕掛けで、美しくライトアップされ、皆から歓声があがった。お役所の建物が非常に立派だった。 ところでフフホトの名は、モンゴル語で青い城だという。シリンホトは黄色い城、カラホトは黒い城である。モンゴル語には「色」が形容詞としてよく出るようである。 現地ガイドの李昌さんは、何と大学教授!! 合流した現地ガイドの李昌(りしょう)さんは50代くらいかと思われる男性。博識で温厚な方とお見受けした。現職は内モンゴル農業大学の日本語科の教授で、若い頃は岡山大学に留学されたという。道理で日本語が流暢である。父親も教育者で、文化大革命の時には迫害されて苦しい目にあったという。 この李昌さんに、私は当座の軍資金として5000円を中国の通貨「元」に両替してもらった。 歓迎パーティーで馬頭琴が聴けた。歌手のお姉さんの笑顔がうれしい。 車窓から右見たり左を見たりするうちに、歓迎パーティーのレストランへ到着した。広い部屋で、大きな丸テーブルに分かれて座る。馬頭琴のお兄さんと歌のお姉さんが民族服(デール)で現れてパーティーが始まった。お姉さんが馬頭琴の伴奏で歌いながら、白い絹の布(ハーダー?)を捧げ持ち、銀?の器の酒を飲み干すようお客に促す。お客はお酒を薬指につけ、天と地と人に祝福があるよう祈って飲みほす。モンゴルの儀礼である。 お姉さんはとても笑顔がよくて、歌も上手い。勧めるのも上手。一行の皆さんの笑顔がはじけた。私もその強い酒を思い切って飲んだ。 お姉さんの歌った歌には天鵜(白鳥)、草原の太陽、祝い歌(金杯)など、知っているモンゴルの曲がいくつか出た。懐かしく、やっとモンゴルへ来たんだと思った。 料理が次から次へと出てきて 食べきれませ〜ん 料理は、中国料理、モンゴル料理取り合わせて、次から次へと出てきた。肉(羊肉)料理も色々あって、私も結構食べた。でもなにせ多すぎる。半分以上が残ってしまった。勿体ない。料理人さんにも申し訳ないではないか。 でも、ガイドの李昌さんに言わせれば、残してもいい…。いや、残さないといけないんだと言う。全部平らげると、料理人は、お客さんを満腹させられなかった、もっと出すべきだったと悔やむと言う。
今夜の宿は昭君大酒店という豪華なホテルだ。 寝る前に、サランモルの仲間の一室でメンバー全員で演奏曲のおさらいをした。何という根性?! 隣の部屋のお客様、夜遅くに妙(たえ)なる調べが聴こえたと思いますが、何とぞお許しあれ。 ツアー最初の夜。――念願のモンゴル(内モンゴル)へ来たと言う感慨からか、枕が変わったせいなのか、なかなか寝られなかった。日本と時差1時間。腕時計の時間を直した。 |
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第2日目 8月10日(火) 午前と午後に馬頭琴芸術祭出演・鑑賞。 そのあと フフホト市内観光(五塔寺と王昭君の墓へ) レストランで夕食のあと前夜と同じ昭君大酒店泊 |
第2日目 8月10日(火) 向かいの広場で早朝特訓。サランモルの面々は やる気満々! 今日は、いよいよ国際馬頭琴芸術祭出演だ。 昨夜Yさんの発案で、今朝はホテルの向かいの広場で早朝特訓することになった。食事もしないで6時45分ごろ馬頭琴持参で出演者一行8人が広場に向かう(寝坊して遅れた人もいたけど)。 夜に雨が降ったらしく、広場の石畳は濡れている。立派な、広〜い広場だ。朝まだ早いのに、大勢の人が好き勝手なことをしている。犬の散歩、太極拳、ボール蹴り…。道端に座り、何か売っている人もいる。 我々が石段にすわり、練習を始めると、来る、来る。地元の人が大勢集まってきた。20人以上は集まっただろうか。お客さん?を前に、レパートリー5曲をおさらいする。「ホルチンの春」の曲では、前のおじさんが鼻歌で歌いだしたので、驚いた。 曲が終わると話しかけて来るおじさんやおばあちゃんがいたりして、中国語の少し出来るMさんが話をしてミニ国際交流の場となった。
今はスイカの旬!スイカを満載した三輪自転車やオート三輪が走り回る バイキングの朝食のあと、馬頭琴を持ってマイクロバスで会場に向かう。車から見ると、人や自転車、バイクがひっきりなしに通る。オート三輪も走っている。昔懐かしい風景だ。オート三輪やリヤカー、トラクターには、荷台にスイカや野菜果物を満載している。交通ルールいっさい無視の歩行者、自転車。ひっきりなしに聞こえるクラクション。すごい暮らしのパワーを感じる。 ちなみに、スイカ 1個は2元(28円)から1.5元(21円)とのこと。かなり安い。スイカのほかに、桃やトウモロコシを車に積んでいるのを見かけた。 いよいよ芸術祭のステージにあがる! 会場の内モンゴル師範大学音楽ホールには9時頃到着。300人規模のホールだろうか。大勢の関係者と、デールを着た出演者が準備に余念がない。やがて女性司会者により芸術祭の開幕が告げられた。出演者は男性の中に女性も混じり、馬頭琴の調べが音楽ホールに流れ始めた。 上手い人たちばかりだ。こんな中で、大丈夫かな?!。不安感が湧き上がろうとするのを押さえつけた。まあ、旅の恥は書き捨てというではないか。ドンマイ ドンマイ。 程なく私たちサランモルの番が回ってきた。10時15分頃だ。待ちに待った晴れ舞台! サランモル8名はお揃いのTシャツでステージに上がり、そして4曲を演奏した。 終わったあと、聴衆の拍手はひと際大きく、長く続いたように感じられた。遠い日本から来たアマチュアの我々を、内モンゴルの人々は温かく迎えてくれたのだ。席に戻ると、デールを着て馬頭琴を持った若い男性が、親指を立てて迎えてくれた。多分「良かったよ」と言ってくれたのだと思う。厳しい特訓?に耐えて練習した甲斐があった。 私たちサランモルの後は、リポーさんの演奏(同行されたSさんのピアノ伴奏で)や、同じく同行の歌い手、Kさんの見事な日本歌曲もあって、会場の喝采をあびた。
このピアノのSさんは、リポーさんとの練習なしで、「遥かなるオトールへ」の曲をCDを聴いて10日で自分のものにしたという。すごいなあ。つくづく感心してしまう。リポーさんにしてもそうだ。音楽家の能力には本当に恐れ入る。脱帽である。それに引きかえ、この私は?!。とほほ。 独奏者の中には日本人らしい若い女性もいた。東京のセンジャーさんの生徒さんなのか。それから4日目の屋外ステージには他にも日本人?2人の初心者(失礼)が演奏していた。そのうち一人は私と同年輩のようで、お会いして話をしたかった。お互いがんばりましょう。Yさんと3人で日本最年長馬頭琴トリオを作りませんか? |
広場で早朝特訓。これってストリートミュージシャン?(前にも見物人が大勢いるためカメラアングルが悪いのです。あしからず) 広場での練習のあと、興味津々のおばあちゃんから質問攻め。これぞミニ国際交流! 右端はおそろいのTシャツのデザインを担当して下さったYさん。Tシャツのことではお世話になりました。 お揃いのTシャツで演奏するサランモル。晴れ舞台だけど結構、平常心で演奏できた。かな? 左端は小学5年生のT君。みんなのアイドル。演奏ではウッドブロックを担当してくれた。 開会後最初に演奏したグループ。ゆったりとして、草原の広がりと悠久の時の流れを歌い上げるような曲を演奏した。体を揺らして実に気持ちよさそう。心にしみる曲だった。演奏もピッタリ息が合っていた。 こんな風に弾けるようになりた〜い。 |
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午後の部は馬頭琴オーケストラ。美しい調べにウットリ♪ レストランで昼食のあと、また芸術祭の会場に戻り、午後の部を聴く事になった。午後は馬頭琴オーケストラなどが主だった。人数を数えたわけではないが、25人あまりの編成であったろうか。笛やホビス?(ギターのような撥弦楽器)、さらに馬鹿でかい馬頭琴コントラバスなどが入り、堂々の構成だ。これも実に良かった。「いやあ、いいなあ。すばらしいなあ」とウットリしてしまった、ため息をつくばかりだった。
3時半頃まで演奏を聴き、そのあとはフフホト市内観光となった。 まず、五塔寺へ。1727年に建てられた由緒あるお寺で、右の写真のような独特の建物があった。若い僧がいて、記念撮影をした。ガイドの李昌さんは「私はラマ教です」と言っていた。モンゴルの人々の暮らしには今もラマ教が根付いているのだ。 次は中国四大美人 王昭君の墓へ その次は中国4大美人の一人、王昭君(おうしょうくん)のお墓へ。 4大美人と言われても日本人にはピンと来ないが、そのうちの一人が楊貴妃だと言えば、少しは分かった気になる。モンゴル草原に匈奴(きょうど)民族が幅をきかしている時代に、漢民族出身でありながら匈奴との融和を願って匈奴の皇帝に嫁いだ女性だという。内モンゴルではこの女性のことをとても誇りに思っているようである。フフホトでは「昭君文化祭と名打った行事を開催中で、いたるところに王昭君の名を記したノボリ・垂れ幕がある。私たちの泊まるホテルも王昭君の名を冠している位だ。 とにかく、王昭君という女性は絶世の美女だったらしい。是非一度、生前にお会いしたかった。イエスキリストより数十年前の、つまり2000年以上前の年代だそうだから、無理ではあるが…。 お墓といっても、土を盛って固めた陵墓で、高さ33m。頂上まで道がある。仲良しになった同行のT君(小学5年生)と競争で頂上まで登った。頂上からはフフホトの街が霞んで見えた。 お墓の周辺ではお祭りをやっていて、楽しげに踊りを踊る人あり、ステージでは歌、はてはデールのファッションショー?までやっていて、それはにぎやかであった。ここでも、この国の人の、人生を楽しもうという心意気が感じられた。 夜は、またレストランで豪華な食事となった。 私事で恐縮だが、この夜はぐっすり寝た。芸術祭のステージが終わりホッとしたのだろうか。――この時点では、じつはまだ、ステージが二つも待ち受けているとも知らずに!!。 |
馬頭琴芸術祭1日目の関係者記念撮影。こんなに大勢の皆さんに支えられていたのですね。 五塔寺で若い僧侶と一緒に、はいチーズ! 中井貴一のようなお坊さんでした。 お祭りで張りぼての馬に乗って?底抜けに明るいおばちゃん。王昭君の墓にて。 王昭君の墓にて |